設立当時のお話 設立当時のメンバー 役員在任期間 1973-2011 武岡 大佶 役員在任期間 1973-2013 矢野 秀春 役員在任期間 1973-2013 上水 典明 役員在任期間 1973-2011 橋本 博之 種牡馬の株が倍になっていた衝撃 会社の設立に込められた想い 「世界に通用する会社になるのだから “ジャパン” だ。」 —その名前はまさに創業者たちの心意気を体現するものとなる。 生産者がつくった、生産者のための会社 Old Memories 今から50年前、とある輸入種牡馬の株が日高で売買されました。 最初に株を売った人から2、3人を介し、最終的に倍以上の値で取引された事がわかったのです。 「種牡馬株の取引を明確化しなければ・・・」 青年部で研修に行った海外。そこでセールの合間にノミネーションのオークションをしていたのを見て「こんなのを日本でもでき たらいいのではないか」と夢を膨らませた時の記憶が蘇りました。 日高の生産界を背負って立つ活力みなぎる20代の若者数名が、公正な取引を目指しノミネーション取引会社設立へと向けて立ち 上がりました。 若者たちの話し合いは種付シーズンにもかかわらず牧場作業を終えた夕刻から連日深夜まで続き、種牡馬株の取引に関わる納得 のいく規約がついに完成。声をあげてから実に2か月後に会社を設立させたのです。それがジェイエスの前身である 「ジャパン・スタリオン・ノミネーション・カンパニー」の誕生です。 当時の規約(規程)は今も尚多くのノミネーション取引会社が参考とする礎となっています。 会社設立から半年で日本初となる第1回ノミネーションセールを開催することとなります。 《この時の裏話》海外のセールに憧れを抱いていた若者たち。 それを見様見真似でオークションハンマーをそれらしくと試行錯誤を重ね、振り下ろしたときに良い音が鳴る手作りの木製ハンマー を作ることになりました。 (木製ハンマーに至るまでは木魚や銅鑼も考えたというのだから良い木製ハンマーができて本当に良かったと思います) 蓋を開けてみれば第1回ノミネーションセールは大盛況のうちに終わりました。 種牡馬株を売りたい人、買いたい人が「まずジェイエスにきいてみよう」と、そんな風に地元日高にすっかり定着した会社となりつ つあった昭和54年。第1回繁殖馬セールを開催することになります。 その頃はまだ繁殖牝馬を「買う」という慣習がない中で、「血の入れ替えは必ず必要になる」という信念のもとまた新たに挑戦を始 めたのです。上場頭数、売却頭数が伸び悩み、赤字を出してまでも続けるべきか、それとも継続しながら定着させるべきか苦慮した 時期は短くはありませんでした。 50年経った今、ジェイエス繁殖馬セールという舞台で最高落札価格を打ち出したことが、軽種馬生産界に無くてはならない存在に なったことを象徴しているといえます。 15
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